2017年2月13日午後7時32分、また日本の巨匠がひとり亡くなってしまいました。
代表作に「ツィゴイネルワイゼン」や「肉体の門」、「ルパン三世・バビロンの黄金伝説」などを持つ映画監督の鈴木清順さん。
93歳でした。
最近では2015年の映画『あなたにゐてほしい Soar』で俳優として出演したばかり。
特集上映が組まれるなど再評価されていて海外でも注目を集めていたのに残念です。
鈴木監督の家族には、かなり年の差が離れた奥様とアナウンサーだった弟がいます。
そんな鈴木監督の死去の原因や家族、代表作などについてまとめてみました。
鈴木清順が死去、その死因とは?
鈴木監督は1923年(大正12年)に東京で呉服屋の長男として生まれました。
旧制弘前高等学校(今の弘前大学)の在学中に学徒出陣、陸軍に入隊。
そして終戦を迎え復学、卒業後鎌倉アカデミアの映画科に進みますが松竹大船撮影所の助監督試験に合格、助監督として活躍することとなります。
そして昭和31年日活映画「港の乾杯勝利をわが手に」で監督デビュー。
映画監督以外にもテレビや映画に俳優として数多く出演していた鈴木監督ですが、残念ながら2017年2月13日93歳でお亡くなりになりました。
死因は慢性閉塞性肺疾患。気管支や肺胞に炎症を起こし肺機能が低下するもので、原因はタバコと言われています。
ちなみに笑点を勇退した桂歌丸さんもこの病気を患っています。
鈴木監督はヘビースモーカーで、以前から肺気腫を患い、携帯用酸素ポンプを使っていたそうです。
喫煙者はもちろん、受動喫煙でも起こりうる慢性閉塞性肺疾患。
みなさん、気をつけてくださいね。
鈴木清順の家族について
鈴木監督は1997年に50年近く連れ添っていた奥様を亡くされています。
そして2011年再婚をしますが、年の差なんと48歳!
今の時代もう珍しいことではありませんが、そのときの鈴木監督の御年88歳。
そう、米寿です。
なので奥様の年は40歳、奥様から見るともうおじいちゃんの年代ですよね。
もともと奥様は鈴木監督のファンで、映画関係のお仕事をされていて奥様がサインをもらいに行ったのがきっかけだそうです。
そして鈴木監督には弟がいるのですが、その弟、実は元NHKのアナウンサー鈴木健二さんなのです。
鈴木健二さんといえば「クイズ面白ゼミナール」や「歴史への招待」などの司会をしてた、いわばNHKの看板アナウンサーだった人。
北野武兄弟もそうですが、世の中にはすごい兄弟っているんですね〜(^ ^)
弟の鈴木健二さんは”戦争が人生を180度変えてしまった”と証言。
それはおしゃべりでガキ大将だった兄が内省的になったこと。
それと映画の中の明るい色彩感覚は戦争中の過酷な中での「色彩への渇望」ではなかったのか、と。
そして画面の急なぶった切りは、一つの感情を長くひきずると生死を分けてしまう戦場での体験からきているものなのではないか、というものです。
戦争での暗い経験と怒りが作品に影響を与えている、と語っています。
鈴木清順監督の代表作となる映画とは?
鈴木監督といえばベルリン映画祭でも話題となった1980年の「ツィゴイネルワイゼン」が代表作ではないでしょうか。
翌年の松田優作さん主演の『陽炎座』
そしてその10年後の1991年、沢田研二さん主演の『夢二』は三部作となっていて「清順美学」と呼ばれています。
日活から作風などについてクレームが入り裁判沙汰にまでなった『殺しの烙印』は、カルト映画として世界的にも高い評価を受けています。
2001年には「ピストルオペラ」がベルリン映画祭で特別上映。
2005年の「オペレッタ狸御殿」はカンヌ国際映画祭で特別招待作品にも選ばれました。
不条理な世界を独自の視点で捉え、原色を使ったスタイリッシュで美しい映像。
シュールな情景を表現する映画は、国内外で高い評価を受け、ウォン・カーウァイやタランティーノ、ジム・ジャームッシュなどリスペクトする監督も多くいます。
死去された偉大な映画監督、鈴木清順さんについてのまとめ
日活時代に作品の内容や興行成績などで幹部と対立、結局は解雇されおよそ10年近く映画界から遠ざかることになりました。
そして「悲恋物語」でカムバック、その次の作品が「ツィゴイネルワイゼン」。
相当の思いがあったのでしょうね。
「ツィゴイネルワイゼン」はベルリン国際映画祭で審査員特別賞などを受賞。
鈴木清順の名を世界に知らしめることとなりました。
2017年のアカデミー賞を総ナメした『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼル監督は鈴木監督の影響があったことを述べていました。
若干32歳の監督、映画とはこうやって引き継がれていくのかもしれませんね。
鈴木清順監督のご冥福をお祈り申し上げます。