お笑いタレントの間寛平さんが5月1日に「木から転落しケガをしてしまいました。」とツイッターで報告しました。
皆さん、すいません。
昨日の木のぼりツイキャスの際、木から転落しケガをしてしまいました。
その影響で、お仕事も少しの期間お休みさせて頂きます。
関係者の皆様、ファンの皆様、ご迷惑、ご心配をおかけし申し訳ございません。
猿も木から落ちた!
皆さん、木登りには十分気を付けて下さいね— kanpei (@kanpeitter) May 1, 2017
4月30日にツイキャスの動画生配信中に木に登った際、4~5メートルの高さから転落してしまったということです。
マラソン芸人・間寛平が重傷!
左鎖骨や肋骨など合計10か所骨折の大怪我で、全治1か月ということです。
約2週間の入院と安静が必要とされていて、当然ながら当面のお仕事はキャンセルされたとのこと。
入院中、掃除のおばちゃんに痛い痛いと訴えていたら「痛いて言う元気がある」と言って出て行った、とか村上ショージさんから電話が来て鎖骨が折れて肋骨が9本折れたと言ったら「惜しかったな、後1本で10本やったのに」って言われたとか、周りの人達のお見舞いの言葉から、なんだか寛平さんの人柄が伺えて笑えます。
関西テレビ制作、フジテレビ系列局で放送されているナイナイ岡村隆史MCのトークバラエティ番組「おかべろ」。
そこで「秘伝ハンター!隠し味を探し出せ!」という名物コーナーを村上ショージさんと共に担当している寛平さんですが、今回ピンチヒッターとしてジミー大西さんが抜擢されました。
最初は天然ボケを連発するジミーちゃんに閉口していたショージさんでしたが、徐々に慣れてきたようで「意外とジミーでもいけました」と言いつつも、寛平さんの復帰を願っていました。
寛平さんの今の状況は、最近は痛み止めを飲んで痛みもやっと治まってきたとのことで早く復帰できるようになると良いですね。
間寛平の息子や娘はどうしている?
寛平さんは1949年7月20日生まれの現在67歳。
高知県宿毛市出身で、よしもとクリエイティブ・エイジェンシー東京に所属しています。
スポーツマンだからでしょうか、すごく若いです!芸歴49年で木に登るくらいですし。
そんな寛平さんは若い頃から色んな職についていて苦労人でした。
しかし左官屋の見習い時に余ったセメントを排水溝に流して詰まらせてクビになるとか、ダンプカー運転手をしていた時には産業廃棄物を人目のつかないところに不法廃棄していたとか、彼の芸風のようにチャランポランなところがあったようです。
1968年から芸能活動を始め、1978年には吉本興業の後輩だった光代さんと結婚。
第一子は長女で、一般人のため詳細は公表されていません。しかし既に結婚されていて3人のお子さんがいるそうです。
寛平さんが借金地獄に陥っている時、更に交通事故を起こして徳島まで謝罪に行った時のこと。
帰りのフェリーに乗った際、娘と海に飛び込んで死んでしまおうかとふと思った時に、手をつないでいた幼い娘さんに手をギュッと握り返され、そのぬくもりにハッと我を取り戻し「逃げてどうするんだ」と気持ちを奮い立たせたというエピソードがあったそうです。
第二子、長男はシンガーソングライターの間慎太郎さん。
1981年3月27日生まれで、現在36歳。
誰の子供か知らされなくてもわかるくらい顔がお父さんにそっくりです。
最近はバラエティ番組に出ているので、その存在を知っている人も多いのではないでしょうか。
慎太郎さんは、1985年に「吉本コメディ」でゲスト出演として初舞台を踏み、その後2004年にシンガーソングライターとしてデビューしました。
その歌声はとても澄んでいて伸びがあり、爽やかな美声です。歌も上手で思わず聴き入ってしまいます。
ギター1本のアコースティックスタイルからピアノの弾き語りもでき、繊細な音楽を奏でています。
聴いたことのない人は一度聴いてみてください。
間寛平って本名?
「間寛平」という名前は芸名で、本名は「間重美」(はざま しげみ)さんと言います。
芸名の寛平の由来はカンペをチラ見してしまうことに由来しているそうです。
最初は「貫平」という感じを使っていましたが、喜劇役者の藤山寛美さんを尊敬していたため、リスペクトして文字を変更したそうです。
今の芸名の前には「ふんどししめお」「はまぐり寛平」という嘘みたいな名前がついていたということで、今の芸名に落ち着いて本当に良かったですね……。
寛平も木から落ちて重傷!息子や娘に心配をかける間寛平さんについてのまとめ
26歳の時に先輩芸人の借金530万円の保証人になって、その先輩芸人に逃げられて多額の借金を背負ったのを手始めに。
何度も人に騙されて1億円まで借金の額が膨れ上がるなど、通常では信じられないお人よしの寛平さん。
阪神・淡路大震災では新築の家を失ったりと、災難続きでした。
そして寛平さんと言えば、マラソンランナーとしても有名ですが。
マラソンを始めたのが心臓疾患の治療のためで、今や陸上選手並みの心臓の持ち主になったとのことです。
2008年から3年もの月日をかけて行ったアースマラソンは見事に完走しましたが、そこでも途中で前立腺がんが見つかるなど試練が待ち受けていました。
数多くの試練があっても前向きに、しかも何だかノホホンとそれを乗り越えてきた寛平さんなので、今回の事故もまた周囲の人達の優しさをもらいながらノホホンと乗り越えていってくれるでしょう。