昨年12月9日ボクシング界のレジェンド、長谷川穂積選手が会見を開き引退することを表明しました。
3ヶ月ほど前の9月16日、5年5カ月ぶりにに世界王者に返り咲いたばかり。
引退はいつ決めたのでしょうか?
また引退理由とは?
防衛10回、3階級制覇を果たした長谷川穂積の功績を振り返りつつ、そんな疑問を紐解いてみようと思います。
長谷川穂積がプロボクサーになるまで
〜プロフィール〜
生年月日 1980年12月16日 36歳
出身地 兵庫県
身長 168cm
階級 スーパーバンタム級
実はお父さんが元プロボクサーで子供の時からボクシングを教わります。
しかしあまりの厳しさに一旦ボクシングから離れ、中学時代に何と卓球を始めちゃいます。
やはり身体能力が高いのでしょう、市大会で優勝したこともあるそうです。
その後19歳から千里馬神戸ジムに入門しトレーニングを始めます。
2度目のプロテストで合格、1999年にプロデビューしました。
長谷川穂積、ウィラポンとの闘い
長谷川穂積がプロデビューした1999年の前の年、辰吉丈一郎からベルトを奪ったのがウィラポン。
その後7年間王座を守っていたタイの王者、ウィラポンを倒すことが目標となり、厳しい練習を重ねました。
2005年の世界初挑戦、ウィラポンとの対戦は12ラウンドに渡る死闘の末、勝利の女神は長谷川穂積に微笑みます。(この試合は2005年の最高試合に選ばれました)
ですが黙って引き下がるようなウィラポンではありません。
翌年再戦が行われますが、結果はまたも女神は長谷川穂積に微笑み見事KO勝ち!
こうして見事にウィラポンを倒し目標を達成したのですが、そんな時に襲ってきたのが喪失感や脱力感。
凡人にはわかりませんが、目標を失ってしまったようです。
そんな折り、トレーナーである山下さんが独立して事務所を立ち上げることになり一緒に移籍。
そして母親の病気もあり、勇気づけたいと思う気持ち、ジムを支えたい気持ちが長谷川穂積のモチベーションを支えました。
長谷川穂積がボクシング界のレジェントといわれるようになるまで
ランキングで自身より上位の相手を選んで対戦するようにしていたそうで、実に自分に厳しい人。
でも自分に厳しくなければ減量を乗り越えることもできないのかもしれません。
16度の世界戦で13勝3敗、うちKO勝ちは8回にも及びます。
そして10回の防衛の内、実に7回がKO勝ち。
KO勝ちが多く「打たせず打ちにいく」スタイルでファンを魅了、2000年代で最高のボクサーと言われる所以です。
2003年東洋太平洋バンタム級王座を奪取し3度防衛、2005年世界バンタム級王座を獲得。
10度の防衛に成功しますが2010年WBO世界同級王座のフェルナンド・モンティエルと対戦、TKOにて敗れ王座陥落します。
その年にフェザー級へ転向し王座獲得するも翌年TKOにて王座陥落となりました。
そしてスーパーバンダム級に変更したのち、記憶に新しい2016年9月ウーゴ・ルイスと対戦。
9回終了時に相手の棄権により3階級制覇を成し遂げました。
チャンピオン、長谷川穂積が引退を決意した理由とは
「自分に証明することがなくなった」が大きな理由とのこと。
世界王者という目標を達成したので戦う理由がなくなった、とも語っています。
周囲の説得もあり、11月半ばに現役を退くことを決断していたとそうです。
所属ジムの山下会長は「モチベーションを維持できるそれ以上の相手はいない」と語っています。
それだけ日々のトレーニングがキツいものだということが想像できますね。
WBCバンタム級王者の山中慎介は一緒に練習したこともあり、その練習量を目の当たりにしました。
「怪我が多い理由がわかりました」とコメントしています。
「今こうして無事に終わることができて、素晴らしいボクシング人生を歩めて良かったなと思います」こう言い切る姿に”悔い”の2文字は見当たりません。
天才のサウスポーは限界を超える練習からようやく自身を解放したのでしょう。
引退を決めた孤高のチャンピオン、長谷川穂積についてのまとめ
プロボクサーとしての成績は41戦36勝 (16KO) 5敗。
引退を聞いたファンからは惜しむ声が殺到するかと思いきや、ねぎらいや功績を讃える声ばかり。
17年間のボクシング人生に終止符を打ち、穏やかな表情で「自分の思っていた以上の足跡を残せたボクシング人生だった」と会見で語りました。
本人もファンも完全燃焼して終えた素晴らしいチャンプの引退に、心よりねぎらいの拍手を送りたいと思います。
最後に長谷川穂積、最後の試合となったウーゴ・ルイスとの壮絶な打ち合い、ご覧ください!
https://www.youtube.com/watch?v=2PKEW_0mRE8